視聴室

3回分書いていませんが、メモに残してありますので、それを見つつ面白かった部分を抜いて少しずつ書いていきます。

  • 4月7日
    • 1989年12月『桂川連理柵』
      • 「六角堂」:録画で観たときには長吉はお絹さんの隣へ座ることをもっとためらいました。今回はそれがなかったですね。
      • 「帯屋」:この録画のお半は勘十郎さんでした。ほぼ20年前でお若いですが、やっぱり大人っぽい感じがします。「礼儀も人によるわいのう」っていうお絹の言葉を聴いて「ホントだよね〜」と思わず相槌(笑)。世の中、引けば引くほど押してくるヤツが多すぎ。
      • 「道行朧桂川」:お若い津駒さんが登場しました。当時からやはり、女性の語りがお得意だったのですね。お半が心中の場所に「桂川」を選んだのはホントに偶然なのだろうか?もしかして「誰も知らない」と思っているのは長右衛門だけで、彼の過去は知られていたのじゃないか、そんな気もしました。
    • 1988年5月『傾城反魂香』「土佐将監閑居」:これは伊達大夫さんの襲名披露公演なので半分くらい床を映していますし、人形はほとんどひいたカメラなので人形の動きはよくわかりませんでした。又平という将監の弟子がひどい吃音でこの語りが難しいということ&「伊達大夫→土佐大夫」という風に出世してほしいという思いを込めて襲名披露公演に選ばれたのかもしれませんが、もっとスッキリ語れるもので披露できなかったものなんだろうか、と思いました。一度しか見ていませんので、なぜ将監が修理之助に苗字を許して又平には冷たくあたったのかはナゾです。「分相応に大津絵でも描いてろ」とか言うんですよね。最終的には能力を認めてもらう上に吃音が治っちゃうというめでたいお話ではありますが、床本読まなくちゃあかんですね。
  • 15日
    • 1979年4月『染模様妹背門松』:最初は久松の夢から始まります。見ていてアホらしくなるような内容です。「所詮、キミたちはお互いの顔だけに惚れて関係をもったのね」ってげんなり。夢から覚めたあとは「いかに2人の立場が違うか」を思い知らせ、お染の母は「思いきらねば私は死ぬ」と言って剃刀を振り回し(げんなり)、そのあと蔵に閉じ込められた久松に対してお染がまた身勝手し放題(げんなり)。お染も座敷牢にでも入れておけば〜?>親。主人のお嬢さんで評判の美人に惚れられたら有頂天にもなるだろうけど、こんなのに惚れるなよ>久松。・・・と言うわけで久作に泣かされた以外はげんなり続きの作品でした。
    • 1975年9月『彦山権現誓助剣』「毛谷村六助住家」:六助が京極内匠に騙されて試合(?)をしてわざと負けるところから始まります。毛谷村の六助に勝った者を指南役として召しかかえるという高札が立ったから京極内匠は一計を案じたのですね。それがウソだったと知ってやっつけに行こうとするところで終わりますが、その間にいろいろな話があります。先に見た「妹背門松」でぐったりしていたのを一気に回復させてくれました。これ面白いですよう!六助さんサイコーにカッコイイです。親孝行だし、友達(?)も多いし、男気たっぷりだし、ちと単純だけど(笑)男はこうでなくちゃいけません。久松とはエラい違いじゃ。こういう男に惚れるお園はエラい!★『彦山権現』は面白いので、録画で残っている分は追々全部見てあらすじを書きたいと思います。これ上演しましょうよ。六助は玉女さん、お園を勘十郎さんでお願いします。京極内匠は幸助さんかな。
  • 28日
    • 1975年9月『彦山権現誓助剣』「一味斎屋敷」「須磨浦」「杉坂墓所」:毛谷村の前の話になります。「一味斎」は一味斎が討たれて空しい骸となってお園が連れ帰るところから始まります。かなり見応えのある段です。「須磨裏」は仇討に出て「母と姉」とは離れて息子と若党の友平と3人で旅をしているお菊が内匠に斬られてしまう段。お菊親子が健気で哀れで泣けます。「杉坂墓所」は母の墓所にいる六助に内匠がうまく話をもちかける部分と若党佐五平が斬られて遺された弥三松を連れ帰る部分、短いですがつなぎとなる大事な段です。この前の「瓢箪棚」を見ていないので話がお菊が斬られてから後の部分がまだわかりません。次回観てきます。
    • 1999年2月『お夏清十郎五十年忌歌念仏』:きれいな景事です。私が観たのはお夏が一暢さんでした。足遣いさんがバルタン頭巾だったのですが・・・(笑)。3人で踊るところは+和生さん、清之助さんでした。


『彦山権現誓助剣』の七段目「瓢箪棚」が時間の関係で観られませんでしたので、次回観たいと思います。次回は他に1984年8月の『国言詢音頭』と1994年9月『碁太平記白石噺』を予約してきました。ちょっと忙しい時期に入れてしまいましたが、なんとか予定通りに観たいと思います。