権四郎

役作りをきっちりして重心低く扱わないと、包丁出してきたと思えば「武士の家族だ」と喜んだりする軽い爺さんになってしまうと思います。それだと「また槌松を産んで見せをれ」が無神経な言葉に聞こえてしまう。でも年齢を重ねて分別もある老人が言えば深い愛情がこもる。その差は大きいと思います。自分の憤りだけでなく、前の夫を亡くして新しい夫を得たのに息子を亡くしてしまった娘を思いやる心がそこにあるかないかという権四郎の在り方の差が、およしが「ただの気の毒な女」になるかどうかの分かれ道かと。
そういう意味で勘緑さんの権四郎が秀逸だった、と書きました。とりあえず加筆の意味で。