靭猿(うつぼざる)

「能とりもの」になるのでしょうか、向って左奥に幕があって背部には老松を描いた鏡板というように、舞台は能舞台の作りになっています。狂言では「大名狂言」に分類されます。私も生では一度しか観たことがありません。そうそうはかからない曲だからです。何故かと言えば猿は子方が着ぐるみに入って演じるからなのです。そのお家に子方がいる間だけ、それも猿の着ぐるみに入るくらいの小さな子供であるときしか上演できません。それに比べたら文楽はお人形なので常時観られるというわけで、いいですね。


簡単な筋を書いておきます。太郎冠者を伴に狩りに出た大名は途中で猿曳に会います。猿曳の連れた猿を見た大名、太郎冠者に「あの猿の皮を靭にかけたいからよこすように言え」と命じます。無茶なことをと思うものの主人の言いつけを断るわけにもいかず、猿曳に頼みますが、もちろん猿曳は断ります。断られた大名は矢を弓につがえて猿も猿曳も射てしまおうとするので、猿曳は「皮はさしあげますが、傷がつくから射ないでほしい、杖で急所を打ってさしあげる」と押しとどるのでした
猿に宣命を含めて杖で打とうとすると猿は芸をするのかと思ってその杖を持って船を漕ぐ真似をしはじめ、それを見た猿曳は泣きだしてしまいます。何故打たぬと問う大名ですが、猿曳に話を聞いて心打たれ許すことにします。このとき、文楽でどうだったか記憶にないのですが、狂言だと大名も弓矢を置いて泣きだします。猿曳はお礼にと舞いを進上し、めでたく幕を閉じます。


話だけを書くと「大名の無理難題」という風に感じられますが、狂言というのはだいたい、大名を単純なバカ者に描いて下々の者が正面切ってできないことを話に託している部分も多いです。この曲の大名は、虫けらのように扱われていた命をても哀れに思って救ってくれました。気まぐれだったとしても、いい人です。心の奥に邪悪な部分しかない人なんていない、真の悪者は出てこない、それが狂言のスタンスです。