というほどのものでもないです

昨日「壺坂」が終わる頃に思ったのは、私はこの「真に目出たう候ひける」を聴きたくてこれを観ているのかもしれないな〜ってことでした。どーもなんだかお寺の宣伝浄瑠璃みたいな気もしますが「艱難辛苦はあろうとも正しく生きていればきっと最後は”目出たう候”って終わるんだ」って、たとえ現実がそうでなくても、そう思える瞬間を味わいたいのだと思いました。確かに話の深さとかはないですが、そういう作品なんだと思います。この浄瑠璃を聴いた人々が「ああ、よかったよかった」って思えばそれでいいんじゃないですかね。大衆芸能なんですから。
しつこいようですが、簑助さんのお里は「貞女」というより「夫にベタ惚れの可愛い女房」「他の男は”へのへのもへじ”にしか見えない」という風に見えまする(笑)。