お人形と人形遣いさん

まだ数回しか観ていないので確かなことは書けないのだけれど、お人形を観るときに「まず人形遣いさんが気になる」と「お人形をいいな〜と思って初めて人形遣いさんを見る」という2つのパターンがあることに気付いた。そして私は後者の遣い手が好きだというのも実感。

大阪で「夏祭」を観たときに三婦がいいなあ、と思ってふっと見たら文吾さんがふわんとした表情で遣っておられた。そしてそれ以上に「ああ、いいな〜」と惚れ惚れしたのが三婦の女房おつぎで、誰だろう?と人形遣いさんを見たら和生さん。小さな動きまで美しく、人形の指先までしっかりと神経が行き届いているのに、遣っている和生さんはまるで他人事のように、それを傍で見ているかのようにゆったりとしていて、たまらなくいいと思った。

立ち役ではそういうわけにもいかないのかもしれないけれど、一度だけ映像で観た玉男さんは人形以上に「気」を発しているようには見えなかった気がする。人形遣いさんに先に気をとられてしまうのはたぶん、ご本人の「気」の方が人形よりも強いのだ。好みの問題だとは思うが私は人からはあまり「気」が出ていない方が好き。ああ、やっぱり玉男さんが観たかったなあ。