「文楽の女たち」

文楽の女たち」(大谷晃一著)を改めて読み始めた。12の作品の12の女性をピックアップして書いてある。


最初に『曽根崎心中』のお初と『冥途の飛脚』の梅川の章を読んで「う〜ん」と思ってそのまま読まないで置いてあったのだが、思いなおして読み始めたのである。今日は『心中天網島』のおさんと『新版歌祭文』のお光を読んだ。


この方はおさんの章の最後で「文句のつけようのない貞淑な女房である〜〜〜長い間、日本の男性にとって、おさんは女の鑑であった。永遠の女性であった。」と書いている。そして今はそんなことを言ったら現代の女性に袋だたきに会うだろうとも書いている。現代では自己犠牲は悪だと。


確かに男性の視点ではそうなんだろうけれど、私は現代に生きる女として違う意味でおさんが好きになれない。昔は子どもなんてそんなに大事にされなかったのかもしれないけど、私は子どもが大好きだから夫のために子どもを置いて出家なんか到底できないし、年老いた親に子どもを押し付けたりできない。爺婆だって迷惑ってものだろう。


そんなことで、文楽の話を読んでいると「大事なものはなに?」っていうところへ行ってしまうわけ。私はどうなのかな?と。子どものため、大義のためなら死ねるけど、恋では死ねないだろうなあ。。。