赤川次郎さんのお話

29日の感謝のつどい、初日だったせいかキーン先生と鳥越先生の対談は対談にはなっていなくて、既に知っている方も多いであろうキーン先生の半生のお話がほとんどでした。それでもきちんとした美しい日本語を話されるキーン先生に感激。今どき「わたくしは〜〜いたしました」という風に話せる人は少ないですものね。


この日、私が一番「なるほどぉ」と感心したのは懇親会で乾杯の音頭をとられた赤川次郎さんの文化に関するお話でした。さすがに作家さん、たとえがどんぴしゃでわかりやすいなあ、と。以下、細部まではきちんと覚えていないのでニュアンスで書かせていただきます。


文化(芸能)には2種類ある。「一時代多くの人にもてはやされて人気を誇ってもブームが終われば忘れ去られてしまうもの」と「好む人はたとえ少なくとも時代をこえて長い間愛されるもの」でそこには大きな『時間』の差がある。前者をAKB、後者をベートーヴェンにたとえて「よしもとさえあれば文楽はいらない」というのは「AKBさえあればベートーヴェンは必要ない」というのと同じだと語られました。たとえAKBが東京ドームを一年365日満員にしたとしても、今まで聴かれたベートーヴェンの歌曲に比べたら比較にもならない、それに気付けない人間が文化の存続を左右する立場に立ってはいけない、と。うんうんと頷きながら聴きました。


私は橋下さんの存在そのものを否定する気はありません。氏の好みの偏りや情操の薄さも責める気はないです。でもこういった貴重な意見にも耳を傾けない頑なさは大いに問題があると思います。人の話をきちんと聴いてから反論するのでなく、反論のための反論で相手を押さえつけて追いやろうとする、ある意味幼い精神を持つ人を府なり市なりのトップに選んだ、ということがホントに不思議でなりません。