鶴澤清治復曲三夜 第三回

昨日、清治さんの会に行ってきました。復曲三夜の第三回、今回が最後です。扱う作品は「殩静胎内捃」(ふたりしずかたいないいさぐり)

面白かったですが、音楽的にはちょっと単調な気もしました。安宅の関の場面だからかもしれません。上演されなかった作品名の元になる三段目はもっと浄瑠璃ッぽい話だから違う感じなのかも???

  • 鳥越先生のお話より
    • この作品名の最初と最後の漢字は、読みの「ふたり」「さぐり」という意味を持っていない。「ふたり」というのは次の「静」という字にあわせて「ふたりしずか」という語呂合わせかもしれないけれど、何故この字を使ったのかは謎。
    • 近松がこの作品を書くにあたって参考にしたと思われるのは「山中常盤」「烏帽子折」「熊坂」などではないか。常盤御前が没した時は不明であるにもかかわらず、近松は年月日をはっきりと特定しているのも謎である。
    • 能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」の大きな違いは、勧進帳を読むタイミングで、能では弁慶と富樫の問答の後に勧進帳の話になるのに対し、歌舞伎では勧進帳を読んだあとに問答になる。ところがこの作品ではその「勧進帳を読む」場面そのものがない。
    • 最終的には(五段目)義経主従と静を連れた大津二郎が平泉で再会するハッピーエンドだそう。

勧進帳を読む場面がない、というのはどういうこと?と思いながら聴いていました。以下の展開になります(「安宅の松」の段)。

  • 弁慶がまず単身乗り込みます。成功したらほら貝を3回、失敗したら1回吹くので、1回だったら自分のことは放っていったん都に戻ってほしいと言い残します。まずここで弁慶が泣かせます。
  • 義経主従が待っていると、ほら貝は1回しか聞こえてきません。弁慶を助けに行こうという義経を兼房が押しとどめますが、ここで見捨てることはできないと言って皆で乗りこむことに。ここで義経が泣かせます。

この後「安宅の関」の段になって、富樫の口から「勧進帳をつらつら読みあげたけれど、取り上げてみたらただの巻物だった」という話が出ます。読む場面はないわけです。て言うか、偽物だとバレてるわけです。
勧進帳が偽物だったのに、主従のわざとらしい芝居に感動して富樫が通行を許可する、という(ちょっとありえない)展開なのですが、安宅の松で散々主従愛を語った後にまた主従のやりとりがあって、個人的には「くどい」と思ってしまいました。この執拗さが義太夫なのかもしれませんけど、人形に目がいかない分、くどさが増します。と言え、これに人形をつけてもどんなもんかな?とも思いました。現行の歌舞伎から持ってきた「勧進帳」の方がいいのではないでしょうか。