お七@伊達娘恋緋鹿子

「昭和61年@文楽劇場」の公演以外はすべて「火の見櫓の段」です。以下の通り、清十郎さんは本公演でお七をお遣いになったことがありません。ちょっとびっくり。

  • 昭和49(1974)年 2月 国立劇場小劇場 第29回文楽公演
    • (四世)豊松 清十郎
  • 昭和52(1977)年 12月 国立劇場小劇場 第43回文楽公演
    • 吉田 小玉
  • 昭和54(1979)年 10月 朝日座 朝日座文楽公演
    • (四世)豊松 清十郎
  • 昭和61(1986)年 1月 国立文楽劇場 第12回文楽公演(文楽劇場
    • 「八百屋内の段」「火の見櫓の段」:桐竹 一暢
  • 昭和64(1989)年 1月 国立文楽劇場 第28回文楽公演(文楽劇場)
    • 吉田 簑太郎
  • 平成4(1992)年 7月 国立文楽劇場 第46回文楽公演(文楽劇場
    • 吉田 和生
  • 平成6(1994)年 6月 国立文楽劇場 第11回文楽鑑賞教室(文楽劇場
    • (午前の部 3〜14日):桐竹 一暢
    • (午前の部 15〜24日):吉田和生
    • (午後の部 3〜14日):桐竹 紋寿
    • (午後の部 15〜24日): 吉田 簑太郎
  • 平成9(1997)年 6月 国立文楽劇場 第14回文楽鑑賞教室(文楽劇場)
    • (午前の部 5〜14日):吉田 勘弥
    • (午前の部 16〜25日):吉田 玉輝
    • (午後の部 5〜14日):吉田 簑二郎
    • (午後の部 16〜25日):桐竹 亀次
  • 平成11(1999)年 12月 国立劇場小劇場 第31回文楽鑑賞教室
    • (Aプロ):吉田 玉英
    • (Bプロ):吉田 勘弥
  • 平成14(2002)年 1月 国立文楽劇場 第85回文楽公演(文楽劇場
    • (3日〜13日):吉田 玉英
    • (14日〜25日):吉田 簑二郎
  • 平成14(2002)年 6月 国立文楽劇場 第2回文楽若手会
    • (22日):吉田 清五郎
    • (23日):吉田 簑一郎
  • 平成14(2002)年 12月 国立劇場小劇場 第34回文楽鑑賞教室
    • (Aプロ):吉田 清五郎
    • (Bプロ):吉田 和右
  • 平成16(2004)年 6月 国立文楽劇場 第21回文楽鑑賞教室(文楽劇場)
    • (午前の部 9〜16日):吉田 和右
    • (午前の部17〜24日):吉田 清三郎
    • (午後の部 9〜16日):吉田 簑一郎
    • (午後の部17〜24日):吉田 清五郎
  • 平成16(2004)年 12月 国立劇場小劇場 第36回文楽鑑賞教室
    • (A班):吉田 勘市
    • (B班):吉田 一輔
  • 平成18(2006)年 12月 国立劇場小劇場 第38回文楽鑑賞教室
    • (Aプロ):吉田 一輔
    • (Bプロ):桐竹 紋臣

「八百屋内の段」の予習をしようと思いましたが、視聴出来る資料の中には「昭和61年@文楽劇場」での公演しかありません。大阪まで行けば観れるんですけど(汗)。平成に入ってからはほとんどが鑑賞教室です。鑑賞教室では定番の演目になっていること(レクチャーにもよく使われますよね)が「八百屋内」の上演がない原因のひとつかもしれませんね。
実際は「お七=惚れた男に会いたいために火をつけた娘」らしいんですけど、それじゃ話にならんというので浄瑠璃では「恋する吉三郎に切腹をさせまいと刀の所在を知らせるために火の見櫓の半鐘を打つ」設定になっています。「八百屋内」を観れば「刀」の件がわかりやすくなるのではないでしょうか。


実際のお七について確実なのは「実在した少女で、鈴ヶ森刑場で火刑にされた」ということだけで枝葉の部分はさまざなま説があります。あまりに哀れであるというので後々いろいろな本になったようです。

「消防雑学」のページがわかりやすいです。