付祝言など

能の会で、最後の曲の終わりに地謡の人が「祝言性のある曲の終曲の詞章を謡う」ことがあって、それを付祝言といいます。最も一般的に謡われているのは高砂
「千秋楽は民を撫で 万歳楽には命を延ぶ 相生の松風 颯々の声ぞ楽しむ 颯々の声ぞ楽しむ」
というものです。舞台などの「千秋楽」はここから来ている、という説もあります。(雅楽の「千秋楽」から来ているという説もあります)
ここだけでもおめでたい感じではありますが「高砂」を観てこの部分を聴くと神の手に撫でられている気がします。ちなみにこの詞章の前は「さす腕には、悪魔を払ひ、納むる手には、寿福を抱き」です。目に浮かびますよね!


「翁」・・・「天下、泰平国土安穏の、今日の、御祈祷なり」「千秋万歳、喜びの舞なれば、一舞舞はう万歳楽」という翁の舞のあと、入れ替わるように三番叟が「おさへおさへおう。喜びありや。」と言って出てきます。”三番”なのは”一番目の千歳””二番目の翁(白色尉)”の次、三番目だからです。「直面の揉の段」と「面(黒色尉)をかける鈴の段」の間に千歳(面箱持)との間にある問答が面白いです。
「翁」を上演するときは演者が精進潔斎をしますし、この曲では観客は”遅刻”すると見所(客席)に入ることができません。文楽版の「翁」である「寿式三番叟」ですが、文楽では特に神聖なものではなく娯楽性の強いエンタメで精進潔斎の習慣はないそうです。もっとも単日の能ならともかく、何週間も精進潔斎していたら耐えられないですよね、水気も色気もなくなっちゃうでしょうし(笑)。
ともあれ、楽しみですね〜。