@大石神社

前半は坂田明さんのサックスとのコラボでした。正直なところなんだかさっぱりわかりませんでした。「人形&サックス」「能楽の舞&サックス」という1対1の部分は力が拮抗しておもしろかったのですが、三者の持つ力と質がまったく違うので三者一度、というのはちょっと無理だと感じました。もちろん私の感じ方にすぎませんが、サックスは主張の強い楽器なので単独がよいかも、です。


「きりしとほろ上人伝」・・・子供にもわかりやすい話だと思います。面白く観れますが、一点ちょっと「ええ?」と思うところがあってそこで一度ぷっつんと集中が切れました。ちょっと「強引」かなあ。
”だいだった”という名の大男が(昔話によく出てくるでいだらぼっちがモデルかな?と思いました)世の中を平和にしたいと思うのだけれど、その方向性が間違っていたために悪魔と契約を結んでしまい、最後は神の手によって救われるという話なのですが、悪魔が修行している僧のもとに”だいだった”を送りこむときに”絶世の美女”に変身させるんですよね〜。そこで「なんで女?」と思っちゃったのでした。魔が「女」の姿で男を誘惑するというのは常道ですが、主人公が大男であることとまったく関連ないと思うんですよね〜。帝が酒宴の場で十字をきったり、そこで琵琶語りが出てきたり(三味線の活躍の場にはなりますが)、面白いことを盛り込もうとしすぎてバラけた印象になった気がしました。
だいだったを演じたのが能楽シテ方の大江信行さん。初めて拝見しましたが、動きにブレのないきれいな舞を舞われます。そして直面にたえるイケメン(笑)。声もよく通り、この方の舞台を京都まで観に行きたいと思わせてくれました。こちらでは能公演はないのかしら。

「悪魔と契約を結んだものが主のしもべになるのは、枯れ木にバラを咲かすようなもの」という不思議な言葉があり(聖書にあるのかな?)、最後はだいだったが持っていた柳の杖にバラが咲きつづけたっていうので終わります。花の中でバラを選んだのは主が十字架を背負って歩んだときに茨の冠を頭に戴いていたから、でしょうか?無国籍な話なんですけど、バラは異端な気がしました。


↑わかった!私が芥川の原作を読んでいないからわからないんですね!暇ができたら図書館に行って読んできま〜す。


読経する僧が十字架を出す、その舞台は神社・・・たまたま昨日までやっていた花組公演でも「あがめる神は違っても、神はおひとりなのだ」というセリフがあったのを思い出してしまいました。私自身は「あらゆるものに神は宿る」と思っていて(アニミズム?)常に「神」というのを身近に感じつつひとつの宗教に帰する気持ちにはならない人間なので、ちょっといろいろ考えちゃいましたね〜。


というわけで結構楽しみました。勘緑さんも、いかにも”らしい”人形サービス満点でした。シッシッってやるところ、独特ですよねえ。浄瑠璃語りは駒之助さん。最後までテンションが落ちず、テントを叩く雨音を忘れさせてくれました。