全部ぶっとばして^^;

今日観てきた録画の感想です。この前視聴室に行ったときの感想も、5月公演の感想もまともに書いていませんが、頭がもう「本朝廿四孝」にシフトしちゃってます。今日は「碁太平記白石噺」の新吉原揚屋の段(平成6年のもの)を観てから、昭和44年に通し上演された「本朝廿四孝」の一部を観てきました。”大序”と”2段目の最初の段”と”4段目の十種香〜最後まで”を観ました。残りも追々観て行きます。
この公演の八重垣姫は紋十郎師匠です。清十郎師匠の師匠ですね。今まで録画では清十郎師匠のと簑助師匠のを観たことがありましたが、紋十郎師匠は初めてです。さすがに上手いです。余裕でお遣いなのに表現が繊細。狐火の出遣いのところは左が清十郎師匠で足が玉松さん(当時は文弥さん)というイケメン揃え。思わず「うきゃっ!」って小さく叫んだ私です(笑)。最後のキツネちゃんに簑太郎さん(現・勘十郎さん)がいらしたような気がしましたが、昭和44年ではまだ中学生?ですか?

紋十郎師匠に似ています>清十郎師匠。もちろんお人形がです。八重垣姫は本公演ではこんな感じです。

  • 昭和44(1969)年10月:桐竹 紋十郎
  • 昭和48(1973)年7月:桐竹 亀松
  • 昭和52(1977)年1月:豊松 清十郎
  • 昭和53(1978)年8月:豊松 清十郎
  • 昭和58(1983)年4月:豊松 清十郎(休演)→吉田 簑助
  • 昭和58(1983)年12月:桐竹 一暢
  • 昭和63(1988)年4月:吉田 簑助
  • 昭和63(1988)年5月:吉田 簑助
  • 平成4(1992)年9月:吉田 簑助
  • 平成5(1993)年1月:吉田 簑助
  • 平成10(1998)年1月:吉田 簑助
  • 平成13(2001)年9月:吉田 簑助
  • 平成13(2001)年11月:吉田 簑助
  • 平成17(2005)年11月:吉田 簑助

これを観るとご病気になる前は清十郎師匠が続けてお遣いですので、当たり役だったのでしょうね。簑助師匠のものは比較的新しいものを拝見したので雰囲気が違う気がしたのですが、遡って昭和63年のものを観てみようかと思っています。
今日しみじみ観て、八重垣姫って姫さまらしいだけでなく、一途で積極的で、勇敢で勘も頭もいい娘なんだ、と思いました。なかなかの傑物です。繊細かつ大きく遣って◎という気がします。

紋十郎師匠のお名前の変遷↓

  • 明治42(1909)年 9月〜大正6(1917)年 1月:吉田 小文
  • 大正6(1917)年 2月〜大正6(1917)年 12月:吉田 文昇
  • 大正7(1918)年 1月〜大正7(1918)年 2月:吉田 小文
  • 大正7(1918)年 3月〜昭和1(1926)年 12月:吉田 簑助
  • 昭和2(1927)年 1月〜昭和45(1970)年 8月21日: 桐竹 紋十郎

一瞬「文昇」を名乗っているのが不思議ですし、最初は吉田だったのに桐竹になってたり、結構ナゾです。このあたりのことに詳しい方にお話をうかがってみたいです。

筋書本を読んだだけではさっぱりわかりませんでしたが、録画を観るとやはりわかりますね。ついでに図書室で床本を拡大コピーしてきて読んでいます。全部コピーできないので3分の1くらいです(笑)。