「ひらかな盛衰記」4段目

昨日、昭和54年2月の「ひらかな盛衰記」・4段目と、平成15年の勘十郎さんの襲名披露公演「絵本太功記」の夕顔棚&尼が崎を観てきました。「ひらかな盛衰記」4段目の簡単なあらすじと感想を書いておきます(下の方にあり)。
その前に「なぜ2段目の最初〜3段目〜2段目の残り〜4段目」の順番で上演されるか?を「らくらく文楽」のおりんさんに教えていただきましたので触れておきます。通し上演の場合、だいたい昼夜に分かれます。普通なら大序〜二段目&三・四段目という風に分けるのですが、この話は二段目の後半の部分と四段目が登場人物的につながっているんですね。二段目がないと四段目がわかりにくい。そうなると夜の部の人は「???」ってなって楽しめません。それに比べて三段目の方はそれだけ取り出して観てもわかりやすい段なのです。そういう理由で、先に三段目を上演してしまう、という方法がとられているようです。
昭和54年の公演では下記のような順番で上演されています(参考:文化デジタルライブラリ)

  • 大序
    • 射手明神の段
  • 初段
    • 義仲館の段
  • 二段目
    • 桂の里楊枝屋の段
  • 三段目
    • 道行君後紐
    • 大津宿屋の段
    • お筆笹引の段
    • 松右衛門内の段
    • 逆櫓の段
  • 二段目
    • 梶原館の段
    • 先陣問答の段
    • 源太勘当の段
  • 四段目

(追)二段目の「楊枝屋の段」は観ていません。三段目の「松右衛門」「逆櫓」は平成18年5月の公演で観ていますので、前々回、「大津宿屋」「笹引」を観て、前回は二段目の「梶原館」〜「源太勘当」を観ました。今回は四段目の「神崎揚屋」「奥座敷」を観て、一応大事な部分は一通り観た感じになります。でもさっぱり頭の中でまとまりません。夜も開いている日に行って一日かけて本気で通しで観ないとダメかもしれません。


*4段目のあらすじと感想
神崎揚屋の段
傾城に身を落とした千鳥は今、梅が枝という名で店に出ていますが、夫である梶原源太景季だけを客にとり、他の客には帯を解きません(ってところでもう「ありえない」話なんですが)。梅が枝を身請けしたいという客が来たその日、親の仇を討つために妹・千鳥を探し出したお筆も店に訪ねてきました。親の死を知って嘆き、自分も仇を討ちたいという千鳥でありましたが、そこへ景季がやってきます。
合戦に出て軍功をあげ、勘当をといてもらうから預けた「頼朝公から拝領した鎧」を返してくれという景季。ところが鎧は「他のお客を取らないために景季だけを客として使った代金の質に入っていて」手元にはないのです。300両というお金がなければ鎧は取り戻せないと知った景季は腹を切って果てようとしますが、梅が枝は300両はなんとかするので思いとどまってほしいと頼みます。
(場面転換)何とかすると言い切ったものの300両のあてなどない梅が枝。庭で苦しみながらくどいていると、奥の座敷の障子が開いてなんと300両のお金が!梅が枝は喜んで着物の袖を裂いてそのお金を包み、鎧を取り戻しにいくのでした。身は売りたくないけど夫のために命にかえてもお金はほしいって・・・これって作者が男だからでしょうね、妻にはそういう女でいてほしいんだろうなあ、と妙に醒めた気分になりました。
奥座敷の段
さて、梅が枝が景季に取り戻してきた鎧を渡して親の死の話をしていると、そこへお筆が出てきて「景季の父、景時こそが父の仇である」と告げ、梅が枝は姉と夫の板挟みとなって苦悩します。景時の代わりに景季を討つと言って討ちかかろうとするお筆に障子の隙間から一本の矢が!慌てて駆け寄った梅が枝にもまた矢が当たります。ところがこの矢は矢じりがなく、2人とも怪我をしていません。障子を開けて出てきたのは弓を携えた景時の妻でありました。
武家の妻である自分は夫を狙おうという者を見逃すことはできない、だが親の仇を討とうというお筆姉妹の思いはわかる、そして勘当になった息子に献身する梅が枝には感謝している、だからこうして矢じりをとって射たのだと涙ながらに語る母延寿。身請けしに来たのも自分で、300両を庭に落としたのも自分である、と。お筆も仇討の思いを納めて和解します。この日を境に梶原の紋を変える、というような話があったのですが、ちゃんと聴き取れませんでした。調べておきます。
梅が枝は、鎧をつけた景季の箙に「私の代わりに」と紅梅を一枝さします。「うなづくたびに散る梅の匂いは袖に残りける」って言う文言がステキです。母の「名をあげることが出来なければ自害せよ、生きて帰るな」という言葉がすごいです。こういうところ好きですね>時代もの。ちなみに「箙」という能があります。三番しかない勝修羅能のひとつです。実際に生田神社に「箙の梅」という梅の木があるんだそうですよ。