「泣く」ことに関しての私的考え

子供時代〜若いころ、人前で泣けない人間でした。誰にも見られないところで声を押し殺して泣くことしか出来ない人間でした。すぐに泣く人を軽蔑していたかもしれません。理由はあるのですが、まあ、置いておくとして。
高校を卒業した3月、部活の先輩だった人が事故で亡くなりました。お葬式に行っても泣くことができなかったのですが、棺に横たわる先輩の顔を見た瞬間、身体が震えて立っていられなくなり、そのとき初めて「慟哭」「嗚咽」という文章でしか知らなかったことを体感したのでした。それでもいきなり素直に泣けるようになるわけもなく、平気でだだ泣きする人の気持ちは理解できなかったです。
数年後に大学の恩師が亡くなったときも我慢して我慢して、木陰で一人になったときガタガタと身体が震え、頭を抱えてでも声を出さずに泣きました。顔をあげたら友人がいたわるような眼で見て「泣きたいときは泣けばいい」と。何か突然、急にわんわんと泣く後輩が愛おしくなって肩を抱いて一緒に泣きました。
一人で受け止めかねる悲しみは人と共有すればいい、涙で流せばいい、とだんだんと思えるようになり、子供と一緒に映画を見て泣いたり、年齢とともに感情の発散がうまくなりました。私は友人や子供たちに助けられて今に至っています。今の「泣ける」自分が好きです。
泣くというのは意識してする行為ではありません。「ここは泣くところ」だと思ってわざと泣いている人がいるとか、思いたくないです。むしろ当然泣くべき場面で泣けない方が問題かもしれません。過去の私がそうであったように。それって自分の中で無意識だけれどブレーキをかけているのだと思います。無理に我慢すれば身体が反応します。立っていられない衝撃です。流れる涙を止めるのは身体によくない、自分の感情に素直であればいい、そう思います。