清十郎師匠の襲名披露
四世豊松清十郎さんは昭和34年7月の三和会公演で襲名披露をしました。それまでは桐竹紋十郎さんの門下で桐竹紋之助を名乗っていました。紋十郎の弟子→紋之助、清十郎の弟子→清之助っていうわけですね。
場所は三越劇場で、7月4日〜9日が一部、10日〜15日が二部となっています。因会と分裂していたときで人手が足りないのか皆さん出ずっぱりなんですが、師匠も下記のとおり(青文字)主遣いだけでこんなに出ておられます。恐らく紋十郎師匠のときには(日高川の清姫など)左も遣われたのではないかと思われます。これを見てふと、清之助さんの三浦之助も観たいな、と思いました。
太文字になっている「本朝廿四孝」が襲名披露の演目ですね。
- 一部
- 二部
- 「絵本太功記」夕顔棚・尼ケ崎(武智重次郎)
- 「壺坂観音霊験記」沢市内より御寺
- 襲名披露口上
- 「本朝廿四孝」十種香・奥庭狐火(八重垣姫)
ちなみに因会は(ダジャレじゃありません^^;)その年の7月に昼は「夏祭」住吉鳥居前〜田島町団七内までの5段と「本朝」十種香・奥庭狐火、夜は「絵本太功記」尼ケ崎と「天網島」北新地・紙屋内と「久米仙人」吉野山を上演しています。なにげにガチンコしてますね(苦笑)。こちらは人形さんの記録がないのでどなたが遣われたのか不明です。