千宗室さんのお話

全部は無理なので、私の心に残った部分だけ書き出します。まとめる力がないので箇条書きになって読みにくいかもしれません、ごめんなさい。途中、千利休について語られた部分は割愛しました。

今年の春は異常気象で都内も百花繚乱とさまざまな花が咲き乱れています。「春」という季節を若い方に説明するとき、今の方は「三寒四温」と言ってもその言葉を知らないので私は「春は千鳥足」という風に説明しています。行きつ戻りつして春という季節は深まっていきます。春だけではなくどの季節も、一日の中の移ろいもすべてそうです。
季節を楽しむには「季節とはこういうものだと定めないこと」が大切です。季節をこちら側で定めてしまうのはとても不条理なことで、定めてしまうからその通りにならないと苛立ったりするのです。
雨の日を好きだという方は少ないでしょう。雨の日を快適に過ごすにはどうしたらいいでしょうか。禅には「雨滴聲」という言葉があります。雨が降るのなら雨になれ、雨を受け入れよ、というような意味です。雨だからと文句を言っても仕方ありません。受け入れることで一日を豊かに過ごすことができます。それは「一期一会」の心に通じます。出会うもの、ふれるもの、ひとつひとつ、すべてを素直に受け入れるという心です。
茶の湯にしても、形ではなく「お茶を一服楽しもう」と思う心が大事なのです。着るものも何も和服でなくてもいいのです。その人の心がそこにあることが大事で、いくら形を整えても心が伴わないのでは意味がありません。また、茶の湯を学ぶ中で様々な文化を学びます。生花、香、墨跡、建築、造園、懐石、和歌、礼法など、すべて学ぶことになります。そういう意味で私は「茶の湯は日本のポータルサイトである」と思うのです。礼法というのは「ひとつの場を大勢が心地よく過ごせるためにあるもの」です。今の子どもたちは何も知らないことが多いのですが、それは先入観がない真っ白な状態で、つまり私たちが正しいことさえ教えることが出来れば正しく染めていくことが出来るということです。
茶の湯とは 心に伝え 目に伝え 耳に伝えて 一筆もなし」という言葉があります。この”茶の湯”の部分は皆さんで他の言葉に替えてくださってかまいません。何についても同じことです。何かを得ようと思うのならただ待っているのではなく、自分の目で見て耳で聴いて心で感じ取らねばなりません。勝った負けたで一喜一憂するのは自分をしっかりと見つめていないからです。自分の中にしっかりした軸を持ってそれを見つめてください。そうしたときに私は「温故知新」「不易流行」といった古人の言葉をよく思い浮かべます。

話がちょっと尻切れトンボになっていてすみません。でも確か、この話で終わったと記憶しています。いらしゃった方で「こんな話もあったよ」ということがありましたら教えてください。