道真公

昨日のコーラスの練習のときに、2月に「摂州合邦辻」に連れていく友人と話していたときのこと。彼女は書道も長くお稽古されていて大変な達筆なのだけれど「昨日ね、鎌倉の初天神で筆供養をしてきたのよ」と言う。初天神のときにウソ替え神事をする天神さまも多いと思うのだけれど鎌倉ではなかったみたい。東京の先生方のも全部預かってきて供養してもらって、などという話を聞いているうちに「あ、そうか、道真公は筆の達人だったんですよね」という話になった。「菅原伝授手習鑑」なんて話があるくらいだもの、と。
私が歴史が苦手だったのは、今思えば縦糸ばかりで横糸が見えなかったせいだと思う。今こうして色々な芸能に接し、また色々な人に接してそこここで接点を見出すたびに「縦糸ばかりに気を取られている」自分が見えてその広がりのなさに嘆息する。もっと広い目高い視点でものごとを学んでいけるようになりたい。ああ、それには時間があまりに少ない!