考えた末

目から鼻へ抜ける、というのと真逆な自分は「考えて考えて考えてやっと気付く」人間です。最近気付いたのは、どうして同じ演目を近い間隔で上演されることに抵抗があるのか、でした。「そんなに好きじゃない演目」や「好きでも特に心に残らなかったもの」は何度観てもいいんですが、「心に残った舞台」はとっておきたいんじゃないかな、と。
この夏また、「長町裏」をやってます。自分の浅い観劇歴の中でも2回観てますから、よくかかる演目なのかと。そのうちで「綱さん・伊達さん」で「勘十郎さん・玉也さん」という組み合わせのものがものすごかったんですよね。それが自分の中でリフレインしている間は他の演者で観たくないな、と思ってるのかもしれません。もう少し時間がたてば「違う人でも」って思う気がします。
そういうの、結構あるんです。だから、文楽を観始めた頃にはわからなかった「越路さんのいない文楽なんて」「玉男さんのいない文楽なんて」と仰る先輩方の気持ち、ちょっとだけわかるようになりました。


現・清十郎さんの襲名が八重垣姫だと知ったとき、既に録画でかなり先代の清十郎さんのものを拝見していましたので「受け入れられるのだろうか」という不安がありました。先代清十郎さんの人形にはまっていましたので勘十郎さんの狐忠信も観るのが不安でしたが、観ているうちに「この人のはこういうの」という風に思えてくるものだというのも学びました。そういうのを繰り返して、より深く「文楽」という芸能に馴染んでいければいいな、と思っています。