サロン・ド・ブンラクザ@13日

サロンの日はまだ体調が万全でなく、きちんとお話を聴けていなかったのですが、メモってきたことを箇条書きしておきます。

  • 襲名披露を最終的に決められた(GOサインを出された)のは簑助師匠で、当初は口上もなしで簡単にというお話でしたが、直前になって口上もやるという話になりました。
  • 挨拶状の準備など、やらねばならないこまごましたことが多く、今まで襲名された皆さんが「二度とやりたくない」と仰っていたのが身にしみました。今回初めて、道具調べに参加させていただいたりして勉強になりました。
  • 豊松の紋は桐に松で「これでは豊松ではなく桐松ではないか」という風に仰る方もあって、確かにそうだな、と(笑)。これは紋十郎師匠が先代清十郎師匠の襲名のときに決められた紋で、紋十郎師匠が豊臣秀吉(五七の桐)が大好きだったからだと思います。
  • 八重垣姫の演出は簑助師匠のとは違う部分があります。私のは清十郎師匠の型をそのまま踏襲しました。
    • 簑助師匠は十種香の最初から絵像に向いて後ろ振りですが、清十郎師匠のものは横を向いています。
    • 狐火では清十郎師匠は狐から遣って早変わりしますので、それと同じようにしました。簑助師匠が「派手にやりなさい」と言ってくださったので思い切ってやりました。
    • 段切りで私は舞台の中央あたりに位置しますが、簑助師匠は橋の上に位置しますので、舞台のあずまやももう少し中央寄りに作ります。
    • 十種香から狐火の着替えや準備が忙しいので、本来は謙信が出てくるところで黒衣に代わってもらって引っ込むのですが、せっかく勘十郎兄さんが出てくださっているのに引っ込んでしまうのは申し訳ないので最後まで出遣いで出ています。最初はできるかどうか不安でしたが、舞台転換に時間がかかるのでなんとかなりました。
  • 早変わりの着替えがたいへんで、私は不器用なので時間がかかってしまいます。狐から姫に変わるときには、衣装を脱いで舞台裏を情けない姿で走っています(笑)。また、介錯若い人たちは清十郎師匠の演出を知らないので慣れるまでに手間取りました。本当に一からという感じでしたね。
  • 「9月より11月の方がよかったですね」との感想に〜〜やはり東京では緊張いたしました。大阪では少しはよく遣えていたと思います。東京のお客様には申し訳ないので、機会があれば是非またやらせていただきたいな、と思っています。
  • 「清十郎さんの歴史を」との要望に〜〜(簡単にバイオグラフィっぽく話された部分は省きます)簑助師匠と先代の清十郎師匠はお客さんを(ファンを)二分していました。まったく違う人形でありましたので、師匠方同士はそんなことはないのですがファンの対立がすごかったです。当時はそれだけ贔屓に熱を入れる方が多かったのでしょうね。それで、簑助師匠の預かり弟子にしていただくときにはファンの方からお叱りを受けるのではないかと心配したりしました(苦笑)。
  • 「好きな役はありますか?」の質問に〜〜過去の「思い出に残る役」は「近江源氏」の小四郎です。師匠の役では笹引のお筆、足をさせていただいていましたがこれが素晴らしくて、やってみたいです。お筆の首は「娘」ですが、「老女形」の首がしっかり遣える人形遣いを目指しています。
  • 「関東と関西のお客さんの違いは?」という質問に〜〜違いますが、最近は近づいてきたような気がします。以前は東京のお客様はなかなか笑ってくださいませんでしたが、この頃は笑うところでは笑ってくださいますね。

もっといろいろあったのですが、メモっていない部分は自信がないので、「これが大事なのに抜けてるよ」というのがありましたら教えてください。コメントに入れてくださってもありがたいです。