二人遣いの人形

今日の朝日新聞に、群馬県に伝わる芸能の話が載っていました。翁式三番叟です。実家の菩提寺が前橋にあるのに知りませんでした。


この記事の中にも書いてありますが、文楽公演も幕開三番叟は二人遣いですよね。こちらもたぶん、首と両手を遣う人と足の人、という感じではないかと思うのですが、実際に観てみないとわかりませんね。
「翁」は能にあって能にあらず、と言われています。能は正式には五番立です。「神・男・女・狂・鬼」〜初番(脇能)・二番目(修羅物)・三番目(鬘物)・四番目(狂女物)・五番目(切能)という順で上演されますが「翁」はどれにも属しません。どこの流儀、どこのお家でも新年の最初の舞台は「翁」から始まります。(能についての詳細はここをご参照ください⇒『the能.com』)
「翁」はこの記事にもあるように[千歳(せんざい)][翁][三番叟]の三者によって舞台が作られ、非常に神聖なものとして扱われています。この翁のすぐ後は必ず初番の脇能〜神様の能がきます。この中の「翁」はシテ方・「三番叟」(大蔵流では「三番三」)は狂言方によって演じられます。能は普通「舞う」と言いますが、三番叟は「踏む」と言うようです。
三番叟は直面での「揉の段」と面をかけて鈴を持つ「鈴の段」に分かれており、翁が白い尉の「翁面」をかけるのに対して「黒色尉」という黒い面をかけるというなんとも不思議な構成。私はこの三番叟が大好きでして、文楽を観るようになってからも「三番叟」は特別の演目として自分の中に存在します。恥ずかしながら、この記事を読んで初めてこういう神事は日本各地にあるのだ、農耕文化のこの国に五穀豊穣を祈る舞台があるのは当たり前ではないか、と思いました。もう少し本気で神事について、神と芸能について学ばねばいかんと思っています。どうも何でも中途半端でいけません。


歌舞伎は伝統芸能の中でも新しい芸能ですので、娯楽性が大きいですよね。文楽もそうですが「三番叟」は神がかり的というか、人形浄瑠璃というものがない時代からあったろうと思うのです。何故「面」をかけるのか、何故「人形(にんぎょう・ひとがた)」を使うのか、その辺を詳しく教えていただける場はないかと思っています。自分の足を使って歩いて拾うべきものなのでしょうけれど。