続・金殿の段

昨日「金殿の段」で笑っている、という件について書いたのですが、ちょっと時間に余裕のないときに書いたために言葉不足な部分がありましたので加筆しておきます。
金殿の段は長いですから笑いが出る部分は当然あります。「笑っているのが不快に感じた」というのは官女に散々痛めつけられて髪もざんばらになって哀切極まりない状態なのにまだ笑っている人がいる、ということです。知人の文によると、初めて観る人間はあれだけ観たのでは「お三輪は元々求馬と恋仲だった」ということがわからないのではないか?というのです。あれではただの道化のように見えてしまう可能性もある、と指摘しておられるのです。ちなみに知人は古典の専門家です。
私はただただ「何故ここで笑うの」と腹を立てていましたが、それを読んで「ああ、そうか」と少し納得がいったというわけでした。初めてで、浄瑠璃もちゃんと聴き取れなかった場合、ただひたすらに求馬に会いたいといって他人様の屋敷に入り込んで馬子唄まで歌ってしまうお三輪はおかしな子に見えるかもしれません。だったらどうすればいいのか?というのは私にもわかりませんけれど。