突然嵐のように

文楽にはまりました。
いや、正直に書かなくては(笑)。
文楽にはまったんじゃなくてある人形遣いさんにはまりました。


今年の3月、初めて地方公演を観たときは「文楽はダメかも」と思ったのです。演目が「冥途の飛脚」という心中ものだったのがまずかったのか「あ〜ダメだ、こんな話はついて行けない」と正直言ってややうんざり。

ちょっとがっかりしていたのですが、最後の「鷺娘」だけは別で、その動きの美しさ華やかさ品のよさに「こういうのばかり集めたのなら楽しく観れるのにな」と思いました。それは『虹の小箱』の3/19の日記にも書いていますが、早変わりするところや傘をくるくると回すところは息を呑むほど。人形が生きているようでした。

さて。そのときまだ私は、その人形の主遣いがどなたかなんて知りもしませんでした。知りたいとも思わなかったのも事実で頭の中には「もっと面白いものを探して観なきゃ」という思いしかなかったのです。


2度目は5月の東京公演。今度こそ面白いものを観たいという期待とまたダメだったら残念だなあ、という思いとが交錯。もうホントに心は行きつ戻りつ、なんとしょう、という感じ(苦笑)。


ただ、『虹の小箱』を通して知り合った方が文楽通で、人形遣いさんのお母さまとお親しいとこのことで楽屋を見せていただけるというお話を頂戴しました。人形に興味のあった私は「図々しいんじゃないか」という躊躇もありましたが好奇心には勝てずに厚かましくお邪魔することになりました。

そこでお会いした人形遣いさんが、とってもいい方で「え〜、舞台だと怖い顔してるけど全然雰囲気違う」と驚きつつ短い時間ながら色々とレクチャーを受けてきました。話もお上手でこっちの頭の回転が悪いので呆れられただろうな〜と思いながらも楽しかった〜!と帰宅。そう、この日は演目も時代物が多くて楽しかったのです。

お能は初っ端からKOされたのですが、狂言のときは最初に観たのが和泉流で「んん〜」と思い、何度目かに観た山本家で初めて目の曇りが取れた感じで、それとパターンが似ています。私は『観て美しいもの』『型の美しさを大事にしているもの』が好きなのです。

ですからお能は「能全体」でも狂言は「大蔵流山本東次郎家」限定であるように、たぶん文楽人形遣いさん限定でいくと思います。大夫や三味線のことを語れるまでには時間がかかると思いますが、とりあえずここは文楽限定で書き込みいたします。


で。その尊敬する人形遣いさんは今日から大阪の文楽鑑賞教室で「新版歌祭文」のおみつ。ちょうど今、上演中ではないでしょうか。


たくさん勉強するぞ〜〜〜〜っ!